名古屋高等裁判所 平成11年(行コ)43号 判決 2000年11月29日
控訴人
甲
控訴人
乙
控訴人
丙
控訴人
丁
控訴人
戊
右五名訴訟代理人弁護士
服部優
被控訴人
半田税務署長 河島勝
右指定代理人
長谷川鉱治
同
所満
同
山崎俊二
同
服部光孝
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が、控訴人らの平成六年一二月二五日の相続開始に係る相続税について、平成九年六月六日付けで控訴人らに対してした更正処分及び控訴人甲、同丙、同丁、同戊に対してした過少申告加算税の賦課決定処分、並びに、同年七月三一日付けで控訴人乙に対してした過少申告加算税の変更決定処分を、いずれも取り消す。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文同旨
第二事案の概要等
事案の概要、争いのない事実等及び争点(当事者の主張を含む。)は、次のとおり当審における主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の各該当欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人らの当審主張
1(本件土地自体が課税財産であること)
(一) 最高裁第二小法廷昭和六一年一二月五日判決が言い渡されるまで、農地の売買契約成立後に相続の開始があった場合については、農地法所定の許可があった日又はその届出の効力が生じた(以下「農地法所定の手続が完了した」という。)日に所有権が移転したものとし、相続開始時に農地法所定の手続が完了していないときは、その売買契約が行われた土地自体が相続税の課税財産となるという取扱いが定着していた。
(二) 右最高裁判決は、被相続人が所有権移転時期を売買代金全額が支払われたときとする合意の下にその所有する農地を売却し、右売買契約につき被相続人の生前中に、<1>農地法所定の手続きが完了し、<2>売買代金は中間金の支払が完了して手付金放棄ないし倍返しの方法による解約はできない状況にまで進行し、<3>売買対象農地は買主側により道路造成工事が行われる等して現況に変更が加えられていたという事案において、たとえ右農地の所有権が売主である被相続人に残っているとしても、もはやその実質は売買代金債権を確保するための機能を有するにすぎないものであり、相続人らの相続した右農地の所有権は、独立して相続税の課税財産を構成しないというべきであって、相続税の課税財産となるのは売買残代金債権である旨判断した。
(三) しかるに、本件においては、農地二筆と公衆用道路一筆である本件土地について相続開始時までに、売買契約の締結と、手付金の授受があっただけであり、農地法所定の手続きは完了せず、本件土地の占有は売主側にあり、売主は手付金倍返しをすれば本件売買を解約できる権利も保有していた。
すなわち、本件相続開始時に己に帰属していた所有権は、実質的にも完全な所有権であったのであり、決して右最高裁判所判決の事案のように、単に売買代金債権を確保するための権能を有していたにすぎないものではない。
(四) 以上により、本件は、右最高裁判例の射程距離の範囲外の事案であり、本件相続税の課税財産となるのは、従前の取扱例に従い、土地自体とすべきものである。
2(本件土地の評価について)
(一) 被控訴人が平成八年一二月二四日ころ作成し控訴人らに提示した修正申告書の原案においては、本件相続税の課税財産は本件土地自体であるとした上で、その評価は、評価基本通達に基づいて評価することなく、本件売買の代金額と同額とした。
(二) ところで、評価基本通達に基づく評価額は、実際の取引価格とは大きく乖離し、長い間公示地価や実勢取引価格を著しく下回る水準にあった。その結果、納税者は、公示地価や実勢取引価格をはるかに下回る評価基本通達に基づく価格で申告することにより、課税価格をより低めに押さえることができるという利益を享受してきたのであり、右利益享受は一種の既得権といってもよいものとなっていた。
(三) しかるに、このたび何ら法律を改正することもなく、単に解釈を変更することによって売買契約にかかる土地について、評価基本通達による価格ではなく売買代金あるいは売買残代金の金額とすることは、法律によらずして国民の右権利を侵害するものであり、租税法律主義に違反するものというべきである。
(四) よって、本件土地自体が課税財産であるとした場合の評価額は、評価基本通達に基づき評価した額である二六二七万四八八〇円とすべきである。
3(手付金の債務計上)
己が生前受領した手付金六六五万円は、東京国税局の昭和四八年一月一九日付事務連絡に基づく実務上の取扱により、債務として計上する事が認められるべきである。
4(本件賦課決定処分等について)
(一) 本件賦課決定処分等は、本件更正処分に前記1ないし3のとおり誤りがあるので取消しを免れない。
(二) 仮に、本件更正処分に誤りがなかったとしても、本件において、控訴人らは、前記のとおり従来の行政先例法ともいえるほどの実務の取扱例に沿って申告をしたものであり、その当時同一の先例は見当たらず、控訴人らにとって売買残代金額にて申告しなければならないということは予測不可能であった。なお、被控訴人においてすら、前記修正申告の原案を作成した際には課税財産は土地自体としており、その判断は必ずしも一貫したものではなかった。
右の事情は、税法の解釈に関して申告当時に公表されていた見解がその後改変された場合又はその他真にやむを得ない理由がある場合に該当するというべきであるから、控訴人らが本件相続税の申告について仮に誤ったとしても、そのような申告をなすについては国税通則法六五条四項に定める「正当な理由」があったものであり、本件賦課決定処分等は取り消されるべきでる。
二 右主張に対する被控訴人の応答
1(本件売買残代金債権が課税財産であること)
(一) 本件売買は、一団となった複数の地権者が関係する土地買収の一環として行われ、買収の進行状況に応じて本件売買の履行が予定されていたものであり、そもそも、履行の完了までには相当の期間を要するものであることが、売買当事者間で了解されていた。また、Aが行った本件買収事業は、本件事業に反対する者がいたことや、Aの代表者の交代により本件買収事業の方針が変わり交渉をやり直したことを原因として、完了するまでに約四年間を費やすこととなったが、その間、本件事業が立ち消えとなったり、本件買収事業が不成功に終わるような事情が存在したことはなかった。そして、本件相続開始の段階では、本件買収事業について、一応すべての地権者との間で売買契約が締結されていたのであり、本件売買は履行されることが相当程度確実になっていた。
そうすると、本件相続開始時に本件土地の所有権が売主である己に残っていたとしても、もはやその実質は本件売買代金債権を確保するための機能を有するにすぎないから、本件相続財産となるのは、本件土地ではなく、本件売買残代金債権である。
(二) Aが、本件買収事業が完了するまで、本件土地の管理の一態様として己に使用収益する権利を認めていたとしても何ら不自然ではなく、本件土地が利用形態の制限された農地であったことを考えれば、むしろ合理的な管理方法の選択であったといえる。また、本件買収事業は本件土地を含む周辺の土地一帯を買収してマンション業者に転売する目的で開始されたのであるから、本件買収事業が完了しAが転売するまで、本件土地を含む周辺の土地が造成され農地から他の用途に現況が変更される必要はなかった。さらに、己は、相続人である控訴人乙から本件売買の解除ができる旨のアドバイスを受けていたにもかかわらず、本件売買を解除しなかった上、控訴人乙は本件相続開始後に至っては本件買収事業に協力するなどして本件売買残代金を実際に受領しているのであるから、控訴人らの主張には理由がない。
2(本件土地の評価について)
(一) 本件相続開始時あるいは本件相続税申告時の課税庁の取扱いは、最高裁第二小法廷昭和六一年一二月五日判決の判旨と同様の取扱いをしており、控訴人らが主張するような取扱いはしていなかった。
(二) 相続税法二二条に規定する「時価」の意味については、評価基本通達に基づく画一的な評価方法を適用するという形式的な平等を貫くことが、かえって相続税の制度目的に反し、実質的な租税負担の公平を著しく害することが明らかである等の特別な事情がある場合は、例外的に同条に規定する「時価」の評価について他の合理的な方法によることが許されるものと解されているところ、評価基本通達による土地の評価は土地が取引の対象となっていない状態にある場合を前提として定められているのであるから、本件のように相続開始時に土地の所有権が未だ売主たる被相続人に残ってはいるものの、その実質が売買残代金債権を確保するための機能を有するにすぎないような場合には、まさしく前記の特別な事情がある場合に該当し、その評価は原則として、その契約によって形成された取引価額である売買代金債権の価格を基礎として算定すべきである。
3(手付金の債務計上について)
契約手付金は、返済すべき預り金債務としての性質を有するものではないから、債務として計上すべきではない。ただし、右は、本件売買残代金が相続財産となることを前提としている。
4(本件賦課決定処分等について)
過少申告加算税が賦課されない「正当な理由」がある場合とは、例えば、税法の解釈に関して申告時に公表されていた見解がその後改変されたことに伴い、修正申告をし又は更正を受けるに至った場合とか、災害又は盗難等に関し、申告時に損失とすることを相当としたものが、その後予期しなかった保険金、損害賠償金等の支払を受け又は盗難品の返還を受ける等のため、修正申告をし又は更正を受けるに至った場合等のように、申告時においてはその当時の諸状況に徴して適法と認められるべきであった申告が、その後の事情の変更等により、納税者の故意過失に基づかないで当該申告が過少となった場合のように、当時申告が真にやむを得ない理由によると認められる場合をいうものと解されている。
したがって、相続した権利の性質について法的評価が異なりうる場合に、相続人がその判断により自己に有利な権利関係を選択して相続税の申告をした場合には、正当な理由があるとはいえず、また、納税者が法律を誤解していたり、税法の取扱いを知らなかったという場合にも、右誤解や不知を保護する必要性は認められず、正当な理由があるとはいえない。
なお、被控訴人が控訴人らに提示した修正申告書案では、本件土地について評価する財産の「種類」欄に「土地」との記載が、その「価額」欄に「当初申告額二六二七万四八八〇円、修正申告額六六二八万三一二五円」との記載が存在するが、右各記載は、被控訴人において本件土地が本件相続財産を構成するとの見解を示したものではない。すなわち、本件土地は控訴人乙及び同甲が各人の共有持分に応じて相続することとされ、本件売買残代金も右持分に応じて両者が受領していたことから、被控訴人が現実の財産の帰属者に着目して、控訴人らに説明するために作成したものであって、それ以外の意味を有するものではない。
第三当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人らの本訴請求はいずれも理由がないものと判断する。その理由は、原判決二五頁六行目の「行っていたのであって」の次に「(原審証人庚)」を加え、かつ、以下のとおり当審主張に対する判断を付加するほか、原判決「事実及び理由」中の「第三 当裁判所の判断」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人らの当審主張に対する判断)
一 控訴人らの当審主張1(本件土地自体が課税財産であること)について
たしかに、最高裁第二小法廷昭和六一年一二月五日判決の事案は、被相続人が所有権移転時期を売買代金全額が支払われたときとする合意の下にその所有する農地を売却し、右売買契約につき被相続人の生前中に、<1>農地法所定の手続きが完了し、<2>売買代金は中間金の支払が完了して手付金放棄ないし倍返しの方法による解約はできない状況にまで進行し、<3>売買対象農地は買主側により道路造成工事が行われる等して現況に変更が加えられていたというものであり、これに対し、引用にかかる原判決の認定事実によれば、本件では、相続開始時において、<1>農地法所定の手続が完了せず、<2>中間金の支払もなされておらず、手付金放棄ないし倍返しの方法による解約をすることは可能であったし、<3>本件土地は未だ売主側である控訴人らの管理下にあったものであって、右最高裁判決の事案とは事実関係において異なる点が存する。
しかし、引用にかかる原判決認定の事実(改訂部分を含む。)に、原審証人庚の証言を併せると、<1>本件土地の所有権移転について、農地法五条一項三号による農業委員会への届出及びその受理を含めて、本件売買自体に由来する客観的な障害はなく、本件買収事業の進行状況に応じて履行される予定であったために、履行が遅れたものであること、<2>本件売買の代金額は売主である己にとって有利な価格であり、本件売買後地価が下落したこともあって(原審証人庚)、本件売買を維持する方が己にとって経済的には有利であったこと、かつ、本件売買を解約すると他の地権者に迷惑がかかることから、己又は控訴人らが独断で本件売買を解約することは困難な状況であったこと、<3>買主であるAにとっても、転売先は既に決まっており、本件売買を手付金を放棄して解約するより、維持する方が経済的に有利であったこと、<4>本件買収事業の対象土地全部について平成六年四月一六日までに売買契約が成立し、その時点で、Aが転売のために解決する必要があったのは、右土地のうち一筆に存在した借地権者との間の明渡交渉だけとなったのであり、かつ、右借地権者も買収を妨害していたというよりは、金銭的に有利な明渡しの合意をなすべく駆け引きを行っていたのであって、買収の目途がなくなるような事態ではなかったこと、以上の事実が認められる。
右事実によれば、本件相続開始の段階では、本件売買は履行されることが相当程度確実となっており、控訴人ら及びAが右契約を解約する動機にも乏しかったから、前記のとおり前記最高裁判決の事案と異なる点があることを考慮しても、本件相続開始時において、控訴人らが有した本件土地所有権の実質は、本件売買代金債権を確保するための機能を有するにすぎなかったものというべきであって、本件土地の所有権は独立して相続税の課税財産を構成せず、本件相続税の課税財産は本件売買残代金債権であると解するのが相当である。
よって、控訴人らの主張は採用できない。
二 控訴人らの当審主張2(本件土地の評価について)は、本件相続税の課税財産が本件土地であることを前提とする主張であるところ、右のとおり、本件相続税の課税財産は本件土地ではなく本件売買残代金債権であると解されるから、右主張はその前提を欠き採用できない。
三 控訴人らの当審主張3(手付金の債務計上)について
右のとおり本件売買残代金債権が課税財産であるから、受領済の手付金は、他の相続財産に混入しており、返済すべき預り金債務としての性質を有するものではない。したがって、これを債務として計上すべき旨の控訴人らの主張は採用できない。
四 控訴人らの当審主張4(本件賦課決定処分等について)について
国税通則法六五条四項所定の「正当な理由」がある場合とは、例えば、税法の解釈に関して申告時に公表されていた見解がその後改変されたことに伴い、修正申告をし又は更正を受けるに至った場合とか、災害又は盗難等に関し、申告時に損失とすることを相当としたものが、その後予期しなかった保険金、損害賠償金等の支払を受け又は盗難品の返還を受ける等のため、修正申告をし又は更正を受けるに至った場合等のように、申告時においてはその当時の諸状況に徴して適法と認められるべきであった申告が、その後の事情の変更等により、納税者の故意過失に基づかないで当該申告が過少となった場合のように、当該申告が真にやむを得ない理由によると認められる場合をいうものと解される。
これを本件についてみるに、証拠(甲一七、乙九、一〇)によれば、税務経理協会発行の「相続税・贈与税の財産評価」(昭和五四年三月一五日発行、同五五年一二月一五日第四刷)に掲載された東京国税局の取扱いにおいては、売買契約が行われた土地が農地である場合には、農地法所定の手続きが完了した日に所有権が移転したものとし、相続開始時に所有権が移転していないときは、その売買契約が行われた土地が相続税の課税財産となり、課税価格に算入すべき土地の価額は、評価基本通達に基づき評価した価額によるものとされていたこと、財団法人大蔵財務協会発行、名古屋国税局資産税課長及び名古屋国税局資産評価官共編の「財産評価のすべて」(平成六年版、同年六月二〇日発行)には、売買契約中の土地に係る相続税の課税に当たり、土地の売買契約の締結後、その土地の売主から買主への引渡しの日、その土地が農地である場合には農地法所定の手続が完了した日の前に、売主に相続が開始した場合には、その土地の所有権が売主から買主に移転しているかどうかを問わず、相続人が相続により取得した財産はその売買契約に基づく土地の譲渡の対価のうち相続開始時における未収入金とする旨記載されていることが認められる。
右事実によれば、本件相続開始のころ、税務の実務において、農地の売買契約成立後に相続の開始があった場合、所有権移転時期を基準にして、所有権が移転していなければ当該土地自体が課税財産となり、その評価は評価基本通達に基づき評価した価額であるとの取扱いが、例外なく行われていたとは認められない。そうすると、本件は、税法の解釈に関し申告時に公表されていた見解がその後改変された場合には該当しないというべきであり、他に、本件土地を課税財産とし、評価基本通達に基づく評価によって申告した本件相続税の申告が、真にやむを得ない理由によると認められるに足りる事実は認められないから、右申告において「正当な理由」があったとはいえない。
よって、控訴人らの右主張も採用できない。
第四結論
以上によれば、本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法六七条一項、六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 寺本榮一 裁判官 内田計一 裁判官 倉田慎也)